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小さな映画館に寄せて

ライター長野辰次さんの見た『小さな町の小さな映画館』 2011.09.20 (Tue)

「日刊サイゾー」の深読みCINEMAコラム【パンドラ映画館】にライターの長野辰次さんが『小さな町の小さな映画館』のことを書いてくださった。最後に“やはり、映画を見ない人生より、見る人生を選びたい”と締めくくられる文章に深く頷いた。長野辰次さんと「日刊サイゾー」に許可を頂いて転載します。(森田惠子)

 "映画を見ない人生より、見る人生のほうが豊かです"。これは北海道の南岸・浦河町にある映画館「大黒座」の3代目館主・三上政義さんの言葉だ。確かに映画を見なくても人間は死なないし、映画を見てもお腹は膨れない。でも、しかし、なのだ。映画を見る人生と見ない人生ではずいぶんと違う。できればDVDではなく、映画館の暗がりの中で知らない人と一緒に笑ってみたい、泣いてみたい。やっぱり、町に映画館があるとうれしい。スクリーンの向こう側は、現実世界とは異なる"鏡の世界"だ。たとえ鏡の世界に入れなくても、鏡の世界の存在を知っているだけで心が踊る。とはいえ、鏡の世界を維持していく映画館経営者は大変だ。週末はみんな車に乗って郊外のシネコンに向かう。客足が減る一方、ドルビーだデジタルだと新しい機材を次々と導入しなくてはいけない。現在の大黒座は政義さんの息子・三上雅弘さんが4代目となり、2008年に開業90周年を迎えた。ちなみに浦河町の人口は1万4,000人である。そんな北国の小さな町で大黒座はどうやって1世紀近くも営業を続けてこられたのか? ドキュメンタリー映画『小さな町の小さな映画館』はその謎を解き明かしていく。

 大黒座が建てられたのは1918年、大正7年のこと。雅弘さんの曾祖父にあたる大工の三上辰蔵は、もともと自宅に旅芸人たちを泊まらせていた。そのうち旅芸人たちの余興を楽しみに三上家に集まる人たちが増え、どうせ大工なんだからと自前で劇場を作ったそうだ。映画上映だけでなく、浪曲や講釈ものもやっていたので大黒館ではなく大黒座となった。辰蔵の娘ヨネが2代目を継ぎ、1950年代はまさに映画黄金時代で、漁港に面する大黒座は羽振りのいい漁師たちで連日連夜賑わった。やがて政義さんが3代目となるが、70年代以降の映画産業は斜陽化。入場料よりストーブ代のほうが高くつく状態となる。都会の映画館では『E.T.』(82)や『子猫物語』(86)が大ヒットしていたが、フィルムの貸し出し料金が100万円と高く、大黒座はこの2本は上映できなかった。配給会社からは「これを買えないようなら、映画館はやめたほうがいい」と言われている。

4代目館主の三上雅弘さん。「石にかじりついても映画館を続けようと考えているわけではありません」と自然体の経営が信条。
 政義さんは何度も閉館を考えるが、風雪にさらされ続けてきた大黒座は映画スタッフの目に留まり山田勇男監督の『アンモナイトのささやきを聞いた』(92)や恩地日出夫監督の『結婚』(93)のロケ地に選ばれている。また地元の映画ファンたちが映画サークルを結成し、温かく応援してくれた。このように紹介すると映画の神様が微笑む幸運な映画館のようだが、現実はもっとシビアだ。映画館だけでは赤字なので、三上さん一家はクリーニング店を併設して、副業の黒字で何とか補填しながら運営を続けてきた。映画の上映開始時間だけ、政義さんの妻・雪子さんがモギリ嬢を務めている。政義さんが亡くなり、東京の大学に進学して稼業を継ぐ気のなかった息子の雅弘さんが4代目となった。これまで赤字を補っていたクリーニング業も、最近の若者はクリーニングの必要がないファッションを好むようになったため、経営は本業・副業どちらも厳しい。

 では、大黒座を支えているのは何か? 本作の中で紹介される、ひとりの女子高生の思い出が印象的だ。映画好きな彼女が大黒座で見た映画の中で記憶にいちばん残っているのは、SF映画『エイリアン2』(86)だという。映画そのものは大したことなかったけれど、映画館を出ると目の前に見慣れた港の風景が広がっていたのがひどく不思議に思えたらしい。ついさっきまで宇宙の彼方にいたはずなのに。その女子高生は札幌の大学に進学したため、大黒座は熱心なお客をひとり失ってしまう。だが、彼女は札幌で見た映画の感想を手紙に綴り、大黒座に送り続けた。この女性は、後に4代目館主・雅弘さんの夫人となる佳寿子さん。父・政義さんが亡くなり、4代目を継ぐかどうか悩む雅弘さんが「ひとりでやっていく自信がない」と漏らした際に、無責任に「がんばって」と声を掛けることができず、「一緒にやろう」と嫁いだ。映画館運営は"映画愛"だけではやっていけない。もっと深い覚悟がないと続かないのだ。

雅弘さんの母・雪子さん。クリーニング業の傍ら、大黒座のモギリをしている。お客さんゼロでも動じない年季の入った看板娘だ。
 雅弘さん・佳寿子さん夫妻の長女は、現在やはり地元を離れて、尾道の公立大学に通っている。入学の際に付き添った佳寿子さんは尾道に一軒だけ映画館(シネマ尾道)があることを知り、ホッとしたと話す。親類縁者のいない遠い町に娘を送り出すことに不安を感じていたが、娘の暮らす町に映画館があると分かり、親戚を見つけたような安心感を覚えたそうだ。長女は大学に通う傍ら、シネマ尾道でボランティアスタッフをし、見た映画の感想を実家に手紙で報告しているという。遠く離れていても、北国で生まれ育った家族の営みが綿々と続いている。

 大黒座に通うお客さんも味のある人が多い。愛知でエンジニアをしていた櫻井さんは、浦河町に移り住んで和鶏の飼育をゼロから始めた。和鶏が産んだ健康卵は美味しいと評判だが、手間やエサ代が高くつくことから利潤がなかなか上がらない。毎日鶏を相手に苦闘している櫻井さんだが、大黒座の上映作品は欠かさず見ている。映画を見て、面白かったときはエビスビール、まぁまぁだったときは普通のビール、つまらなかったときは発泡酒を飲むそうだ。また、毎年11月になると大黒座では「大黒座まつり」が開催される。これは雅弘さんの古くからの友人である、地元在住の漫画家・鈴木翁二さんが発起人となって開いた「映画酒場・民衆BAR」が名前を変えたもの。祭りの日の大黒座ではロビーに食事や酒が並び、映画の特別上映のほかに、ステージ上で様々な出し物が延々と続く。初代・辰蔵の頃、旅芸人や地元の人たちが集まっての宴会も、きっとこんな風だったんだろう。幸福なデジャブ感で大黒座が満たされていく。

ポスターをせっせと張る雅弘さんの妻・佳寿子さん。大黒座はwebでの告知はしてないので、昔ながらの宣伝と口コミが命。
 埼玉在住の森田惠子監督は08年から大黒座の撮影を始め、持ち出しで映画を完成させた。NTTの時報や番号案内の声で知られる中村啓子をナレーションに起用したのは、昔からの知り合いで友達価格で頼めたかららしい。聞き覚えのある声が"町の映画館"の身近さを伝える。森田監督によると、「大黒座がドキュメンタリー映画になる」ということを知って、昔から浦河に住んでいる町民たちが驚いたそうだ。自分たちが生まれるずっと前からある当たり前の存在なので、1万4,000人の町に映画館があることのレアさがピンとこなかったらしい。今年の2月から大黒座をはじめ、北海道や各地で上映が始まり、徐々にだが大黒座を、町の映画館を再評価する声が広がっている。

 自分には関係のない鏡の世界の出来事のはずなのに、どうして映画を見ていると泣けてきたり、笑えたり、頭に来たり、ほんわかしたりするのだろか。中には映画館を出た瞬間にきれいさっぱり忘れてしまう映画もあれば、逆立ちしても理解できない作品もある。映画のプログラムは、凸凹だらけでふぞろいな人生に似ている。やはり、映画を見ない人生より、見る人生を選びたい。

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新聞で大黒座の記事観てPCで検索し、いろいろ拝見しました。懐かしく又歴史も解りました、浦河から東京に出て37年東京で映画観たのは25年前ずいぶん行って無いです。下高井戸か川越で上映の「小さな町の~」観に行こうかと又11月父親の三回忌に里帰りの際に大黒座でも観ようかと何年振りかな40年ぶりかな、久しぶりに過去の自分戻れるかも。

[2011.09.27(Tue) 12:05]

松本雄治さん

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